たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

優劣つけちゃダメでしょう

先日、ニュース番組を見ていた時のことです。

アカデミー賞の平手打ち事件を扱っていたのですが、出演者の方が、

「肉体的な暴力は治ればそれまでだが、言葉の暴力はずっと心に残る」

と言ってました。

私はそれを聞いて、この人は肉体的な暴力は治ってしまえばそこでお終いだとでも思っているのだろうかと疑問を抱いてしまいました。

確かに、口での暴力は深く心の中に残り続ける場合があり、月日が経っても思い出してしまうことがままあります。

一方で、肉体的な暴力は痛い思いはするけれども、時間とともに傷は治り、見た目は元に戻るかもしれません。

ですが、あくまで『見た目は』です。

平手打ちだとせいぜい頬が赤く腫れるくらいでしょうが、それでも人に叩かれたという事実と痛みは記憶に残ります。

自分に暴力を働いた人を見れば当時の事を思い出すでしょうし、怪我の痛みを思い出すかもしれません。

人によっては、また叩かれるかもしれないと不安になる人もいるかもしれません。

これが極端な話である事は重々承知した上ですし、余計なお世話かもしれません。

それでも、

肉体的な暴力は治ればそれまでだが、言葉の暴力はずっと心に残る

これを言った人や、肯定する人は、肉体的暴力を受けた事が1度もないのか、あっても軽い物しか受けたことがないのだろうか。

そう思わずにはいられませんでした。

おそらく、平手打ちという、深刻な怪我を負う暴力ではないからこそ出た発言なのでしょうけど。

それでも、肉体的暴力を軽く扱う発言はいただけません。

だからと言って、言葉の暴力の方が軽いというものでもありません。

どちらが良いとか悪いとか、重いとか軽いとかそういう話でもありません。どちらでも受けた人は嫌な思いをしますし、記憶に残ってしまうものです。

比べようとすること自体がおかしな話ですよね。

これがもし、通りすがりの人にすれ違い様に罵られたという人と、すれ違い様に殴られたという人がいたらどうなるのでしょうか。

肉体的な暴力は治ればそれまでだが、言葉の暴力はずっと心に残る

果たして、このセリフを使うことが出来るのでしょうか。

何事も時と場合によりますから、今回の私の言葉は暴論かもしれませんが、1つの意見としてこういう考えがあることを覚えていただければ幸いです。