たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

それは優しさなのか?

どうも、たかやです。

この前テレビを見ていたら、環境に優しい商品というのを扱っているニュースを見ました。

なんだか最近はプラスチックのストローを廃止したり、プラスチックのスプーンの形状を変えて使用量を削減したりしているようで。

なんかいちいち環境に『良い』とか『優しい』とかいう言葉を聞きます。

まあ、以前に比べたらましにはなっているのでしょうが、何だか釈然としません。

例えば、毎日他人をぶん殴っている人が、あまりやり過ぎると死んだりしてマズイから優しく殴らないと、と言って殴る力を弱くしたら?

それは果たして優しさと言えるのか。

これは極端な例えでしたが、上記の『人』を『地球』に、『殴る』のを『環境破壊』へ置き換えた場合、それでも優しいと言えるのか。

などと益体もない事を考えてしまいました。

確かに、何もやらずに今まで通りでいるよりはマシなのはわかりますが、『優しい』や『良い』と評するのはちょっと腑に落ちない時があります。

あくまでマシなだけ。

『環境に優しい』を免罪符にして、必要の無い物を買ったり、まだ使える物を捨てて買い替えたり。

良い人ぶってバカスカ地球を殴り続けるのはどうなんでしょうね。

環境に良いというのは、昔に比べれば良いだけで、結果プラスになるわけではないし、今のマイナスがゼロになるわけではありません。

ただゼロに近付けようとしているだけ、なのかもしれません。

まあやらないよりはマシなわけですが。

正直、こういう事を書いている私も、現代生活を送っている以上は環境破壊に多少なりとは加担しているわけであって、こんな批判めいた事を言っても「何言ってんだコイツ」状態なわけですよ。

受け入れて欲しいわけではありませんが、そういう考えの人もいるんだ程度に感じてもらえればありがたいです。

綺麗事で世の中が良くなるとは限りませんが、綺麗事を口にするのを止めたら終わりですよ。