たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

ぼっち飯、ひとり飯は気楽で良い

どうも、たかやです。

私はひとりで食事をするいわゆる『ぼっち飯』と言うやつにあまり抵抗がありません。

家でのぼっち飯と外でのぼっち飯、どちらも特に気にせず出来ます。

世間ではぼっち飯をしている人を『寂しそう』とか『友達や家族がいないのか』などといった目で見る人もいるようですし、『恥ずかしくてできない』なんて言う人もいるようですね。

私としては、別に家族や友達がいないわけではありませんし、ひとりで食事をしていて寂しいだなんて思った事もありません。

ひとりで食事をするのは楽だからしているだけですよ。

なんせ他人と食事をする場合は集合時間と場所を考え、どの店に行くかを話し合わなければなりません。

それに費やす時間や行動、取捨選択決定判断が本当に面倒くさいです。

自分ひとりなら、その日の気分や今いる場所に合わせて自分の好き勝手にいろいろと決められます。誰の文句もありません。

おまけに食事中に誰かと話さなくてすみます。

口下手な私としては、出来れば何も喋らずにただ食べるだけというのはありがたくもあるのですが、相手側も同じとは限りません。

社会人生活の中ではお昼ご飯を食べている間ずっと喋りかけてくる厄介な人がいたりしましたが、いちいち相槌を打ったり返事をしたりするのが面倒くさかったです。

ゆっくり食べさせてくれと言いたい所でしたが、私よりひと回りふた回り以上も歳の離れた人もいたりして言い辛いものがありましたね。


あと私は食事を一口一口良く噛んで食べるので食べ終わるのに時間が掛かります。

そうなると、一緒に食べている相手が早食いだったりした場合待たせることになってしまいます。

大概の成人男性は食べるのが早いので、ほぼ確実に私を待つはめになり気まずいです。

なので私を置いてさっさとこの場から立ち去ってくれると助かりますが、残られると本当に困りますね。


それでも、仲の良い友人なら私の事を理解しているので待たせたり無言でいても大丈夫なのですが、苦手だったり嫌いなヤツだとそうもいきません。

これは前の会社の話なのですが、会社の休憩スペースでお昼ご飯を食べる時に社長が私の近くに来た事が何回かありました。

その時の私は毎回心の中で『喋りかけて来ないでくれよ』と念じながら弁当を食べていましたね。

私としては、スマホを出して電子書籍なんかを読みながら話しかけるなオーラを出していたつもりなのですが、それでも声を掛けられる事はあります。

あんまり不機嫌そうな態度を取るわけにもいかないので表向きは普通を装っていましたが、内心は『勘弁してくれ』と溜め息をついてました。

そうならないように普段は作業車の中で食べていたのですが、夏場や冬場はエアコンやストーブがあるので社内で食べざるをえませんでした。

そんなわけで、弁当を食べ終えたら今度は速攻で昼寝体勢へと移行して話しかけられないようにしていましたね。

現場仕事なので疲れているのは流石に分かっているはずですから、これで逃げられました。

実際、疲労回復の為の昼寝というのは半分本当なのですが、残る半分は社長とは話したくないというのが本音です。


そんなこんなで高校生の頃からぼっち飯はちょいちょいとやってはいましたが、社会人になってひとり暮らしを始めてからはその傾向が強くなりましたね。

基本マイペースなので人に合わせるのは苦手だしストレスになりますから、私にとってぼっち飯はメリットの方が大きいです。

赤の他人とのやりたくもないコミュニケーションなんて死ぬほどどうでも良いですから。

ひとりでのご飯は嫌で常に誰かといたいという人の気持ちも分からなくはありませんが、私は気楽に好きなものを好きに食べられるぼっち飯の方が性に合っています。

とは言っても、家族と同居している無職にとってはぼっち飯の機会なんてそうそうありませんが。