たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

平凡な私の中にある承認欲求

どうも、たかやです。

この前テレビで承認欲求についての話をやっていたので、それをテーマにしたいと思います。

承認欲求とは、簡単に言えば『他人から認められたい』『自分を価値ある存在として認めたい』という欲求のことだそうです。

まあこれは老若男女や強弱問わず、誰もが抱いた事のあるものなのではないでしょうか。

私だって例外に漏れず、そうだと思います。

さらにこの承認欲求には2種類あり、それが『自己承認欲求』『他者承認欲求』です。


自己承認欲求は、自分自身の技術や能力を高めて自らの信頼を高める事で満たそうとします。


他者承認欲求は、社会的な地位や名声などで注目を浴び、またそれによって他者からの称賛や尊敬を受けることによって満たされるものだそうです。


文章にして見てみると、確かにそう言う気持ち・欲望を持っていたのを思い出しますね。

小・中・高校生のころは足が速いなどに代表される運動神経の良さだったり、勉強や試験などの頭の良さで承認欲求を満たしたり満たせなかったり。

社会人になれば、仕事が出来る出来ないという能力だったり、給料の多寡や服装など金銭面での優越感だったり。


まあ、これまで何十年と生きてきて自分が平凡な人間だと自負している私にとっては、今はだいぶ薄れた欲求となっている気がします。

ずっと働いていない貧乏無職であまり他人と関わらず、他人より上へとのしあがったりするような意欲も既になく、私生活では自己完結出来る暇つぶしがあるから誰かと何かを張り合ったり競う事もないので、自分の中の何かを磨いたり高めたりする事もなく称賛も尊敬も受けないから承認欲求を満たしようがありません。


なので、私には承認欲求はもう無いのかとも思いましたが、そうなるとこのブログはどういう立ち位置になるのでしょう。

ただ日記や備忘録として文章を書くだけならブログとして公開する必要性はありません。日記帳やスマホのメモにでも書いてそのまま放置すれば良いのですから。

それをわざわざ他人に見てもらうというのは、やはり少しでも承認欲求がないと出来ない行為でしょう。

誰かに読んでもらいたい、感想がほしい、ランキングを上げたい、お金を稼ぎたい、などの欲求です。

人によって意識する所に差はあれど、何らかの欲があるからこそ人は行動に起こすわけですから。


翻ってみたところで、私のブログは果たして自己承認欲求なのか他者承認欲求なのか。

文章を上手に書きたいと言う欲求はありますし、たくさんの人に読んでもらうと嬉しいしランキングが上がるのも嬉しいし下がると少し悲しいし、AdSenseなどで収益が入るのも嬉しいしので、やはりどちらの承認欲求もあるみたいです。

とは言え、私のブログは読者数もアクセス数も少ない方だと思いますから、そんなに自分がスゴイとか勘違いせずに済んでいます。

いつの間にかランキングもそこまで上がりも下がりもしなくなって停滞していて、だからと言って特に何もしないのはやはり承認欲求が薄いからなのでしょうか。


自分なんてこんなものだ、やはり自分はたいしたことないと思える無理無茶無謀をやりたがらない性格はある意味ありがたいですね。

どうやら私が承認欲求モンスターになる事は未来永劫なさそうです。