たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

憧れるのをやめた結果が無職

どうも、たかやです。

世の中にはフィジカルなりメンタルなりで自分よりもすごい人が山のようにいるわけですが、そういう人を目標として私も頑張ろうと張り切るのには正直疲れました。

学生なら部活動や勉強で上の成績を目指したり、社会人なら給料や役職アップの為に仕事に励んでいたりすると思います。

かつての私もそう言うのに精を出していたわけですが、今の私はもう只々のんべんだらりと生きていきたいんです。

楽しくもない仕事に精を出したり、資格取得の為にやりたくもない勉強をしたりなんてのはまっぴらゴメンです。

そりゃあ頑張って働いてお金持ちになりたいとは思っていましたが、タワーマンションに住みたいだとか高級車や高級腕時計を持ちたいとか言うわけでもなく、むしろ維持管理などが大変そうで面倒くさそうなのでそもそも欲しくもないですし別に憧れもしません。

空を眺めてのんびりとしていたいです。


今年の新語・流行語大賞の候補に『憧れるのをやめましょう』と言うのがあります。ちょっと意味は違いますがまさしく今の私の心境がそれです。

バリバリと働いて稼ぐ人に憧れるのをやめ、偉くなって人に尊敬されるのに憧れるのをやめ、結婚して子供もいる家庭に憧れるのをやめ、たくさんの人の輪の中にいるのに憧れるのをやめ、と色々やめています。

たぶん死ぬほど頑張ってたくさんの無理をしていらぬストレスを抱えても無視して邁進していればもしかしたら少しくらいは叶うのかもしれませんが、まあそこまでの情熱は持てそうにありませんね。

どうせ私みたいに面倒くさがりな人間は頑張ったところでたかが知れてますし、

身の丈を知る、わきまえると言う意味では今の無職でダラダラとしているように見える生活は私にとっては正しいのかもしれません。

まあ世の中的には真逆で、人間は常に上を目指して生きていかなければならないと常に刷り込まれる環境に置かれているように感じます。

人類は経済を回したり子孫を残したりと社会的な生き方をしないとその内詰んでしまうでしょうから仕方ないのかもしれませんが、現状維持が最上の私には無理そうです。

過去の何処かで今とは違う選択をしていれば何処かの世界線には社会的で社交的な私が存在したかもしれませんが、独身無職のおじさんになった私にそんなifは考えるだけ時間の無駄でしょうね。

それでも人生100年時代だしまだまだこれからだ、なんて言う人もいるかもしれません。

大器晩成なんて言葉がありますし、それを信じて頑張ったら実際に成し遂げてしまう人もいるでしょうが、私にはなんとも困る話でしかないです。

今の私は上を目指して頑張るよりは現状維持に全力を費やす方にシフトチェンジしていますから。

何ともつまらない人生かもしれませんが、なんとも幸せな人生にしてみたいものです。