たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

私はまだ本当の孤独を味わっていない

どうも、たかやです。

金曜日にやっている『ねほりんぱほりん』の第8シーズン最終回を見たのですが、ギリギリFIREをしていた人のその後が分かりました。

どうやらギリギリFIREを辞めたようで、労働をしながらのサイドFIREになっていました。

その辞めた理由と言うのは金銭面が原因ではなく、どうもFIRE生活に精神面が耐えられなかったからみたいです。

ギリギリFIREの生活を始めてから3ヶ月は自由で気楽だったそうなのですが、半年を過ぎてからは孤独感が募ったり、社会に居場所を感じられずにいて精神的にキテしまったようです。

「自由な時間に飽きた」といったような事も口にしていたと思いますが、無労働で絶賛無職生活中の私としては驚きでしたね。

まさか自由な時間に飽きるなんて事があるのか、と。

FIREやリタイア系のブログを読んだりしていると、ずっと家に引きこもったり、外で人と会わなくなったり、やる事がなかったり生活リズムが単調になったりと様々な理由から無職生活に耐えられなくなって労働に戻る人の話を目にして来ました。

私自身の無職生活は多分大丈夫だろうと思いつつも、もしかしたら嫌になったり飽きたりする時が来るのかもしれないとちょっとだけ考えてはいました。

けれども無職生活を始めて3年目になりますが、そんな負の思いを抱く事はまったくありませんでしたね。むしろもっと続けたいと心から願うばかりです。

今の私は基本はずっと家に引きこもり気味で、社会との接点なんてほぼゼロなのですが、元々内にこもれるタイプの性格なのでそれは特に苦にはなりません。

むしろ仕事にまつわる煩わしい人間関係が一掃されたのでもう関わらなくて済むのだという安堵の方が強いですね。やはり仕事という一番のストレスがなくなったのは大きいです。

それにやる事やりたい事がなくて暇でぼーっとするような事もなく、むしろあれもこれもしたいからもっと時間があっても良いと思えるくらいです。

余裕を持って空を眺められる日々のなんとありがたいことか。



そんな私に懸念点があるとすれば、未来の孤独です。

これまで家を出てひとり暮らしをしてプライベートで孤独になったり、仕事を辞めたりして社会的に孤独になったりした事はありますが、それを同時に体験した事はありません。

実家暮らし、ではなく自分の家ですが親と共に住んでいますので、本当の意味での孤独感を覚えたり孤立無縁になった事はないのだと言えます。

なのでこの先、両親が死んで今の家に独りで住むようになると時間の経過と共に自分の心境に果たしてどのような影響が出てくるのやら。

無意識のうちに甘えたり頼ったりしていた可能性が多かれ少なかれあるとは思いますので、それが無くなった時、本当の意味で独りになった私はどうなってしまうのか。

意外と何事もなくこれまで通りの日々を送れるのか、はたまた孤独に耐えられなくなってその心の隙間を埋めるために労働者に戻ってしまうのか。

あと数年、もしかしたら数十年もすれば嫌でも答えは出てしまいますので、気長に待ちたいと思います。

 

金銭面で苦しくなってどうしても働かなければならないのならともかく、精神的にキツくなったから働くと言うのは仕事が嫌で嫌でストレスフルで辞めた身としてはちょっと意味が分からない所ではありますので、是非未来の私にはこの無職生活をずっと続けていてもらいたいですね。

独りだけど楽しく生きて、独りだけど穏やかに逝く。

それを現時点での私の理想で目標としたいと思います。