たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

仕事を辞めるのは面倒くさがらなくて正解でした

どうも、たかやです。

我が家の近所にも桜や梅が咲いていました。

 

無職になって二年以上が経過しました。

仕事に追われても体調はそこまで崩しませんでしたが精神的にはおかしくなりかけた身としては、いまの好きな事を好きな時にやれるという時間の使い方はたいへん幸せに感じています。

やりたい事をやっていたら思ったほど暇が出来るでもなく、次はあれをやってその次はコレをやってと動いていて、昼寝の時間などを除くとそこまでぼーっとはやれていません。

まあ他人から見たらおそらく、のんびりと暇そうにしているように映るのかもしれませんが。

それでも何かをする為に時間を作ろうと思えばあっさりと用意できるはずなのですが、これがなかなか上手くいきません。

例えば掃除ですね。

トイレ掃除や風呂掃除なら毎日やってはいるのですが、自分の部屋の掃除となるとだいぶ適当になっています。

2〜3日に1回はほうきで床を掃いていますが、全体ではありません。いいとこ部屋の半分くらいです。

拭き掃除も月いちでやっているかどうかというサボりっぷりですよ。

やはりこたつを動かすのが面倒だったり寒い中を動くのが面倒だったりするのでしょう。

常に家にいるので時間なんていくらでもありますから、本当なら毎日やってやれない事もないはずなのに、ついつい後回しにしている自分がいます。

今やらなくても後でやれば良い、今日やらなくても明日やれば良い。

そんな感じでズルズル引き伸ばしていってます。

前職で働いていた時は休みが一日しかありませんでしたから、その日の内にやるべき事をやっておかないと明日になんて回せませんでした。

だからこそ『よしやろう!』となって動けていたのですが、辞めてからはそういった気合いを入れる必要がほとんどなくなってしまったが為に『まあいいか』の精神になってしまっているのだと思います。

正直なところ、期限付きの本当に不味いモノはともかくとして、ある程度は先延ばしにしてもそこまで問題がないのが実情です。

やらなきゃいけない事は出来ればやった方が良い事だったりしますし、早くしないとダメなものはその内やれば良いものだったりしました。

それに気付いたおかげで、全然慌ただしくなく贅沢に時間を使える日々が送れているわけですから悪くはないのですが、反面ちょっとダラけているのを自覚している私がいます。

それでも肉体的精神的に酷使されていたあの頃に比べたらよっぽどマシですし、ブラックな労働者としての普通とは言えない生活よりも、反動でダラけている絶対に普通じゃない今の無職生活の方が私としてはしっかり息を吸えている気がします。


正直に言えば、前の会社で働いていたあの頃に戻りたいなんて冗談でも思いませんし言いたくもありません。

それでもあの頃はあの頃で良い事が何もなかったわけではありませんし、笑ったり喜んだりした事もちゃんとありました。

だからと言ってマイナス部分がチャラになったり消えるわけではありません。むしろマイナスの方が多かったわけですし。

辞職という決断と行動は先延ばしにしなくて本当に良かったと心の底から思います。