たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

豪雨災害に避難所生活を思い出しました

どうも、たかやです。

先日の線状降水帯の影響で土砂崩れに氾濫にと嫌なニュースがたくさん流れています。

時折り避難所で心配そうな顔をしている人もちらほらと映っていましたね。

ああ言うのを見ると、私も一時期は避難所生活をしながら会社へと働きに出ていたのを思い出しました。

まあ私の場合はまず家の近くの避難所へ行くのにだいぶ日数を取られましたが。

何年も前の事なので、多少記憶が曖昧になっている所がありますが思い出せる範囲で書いていきます。

確か豪雨があった日は普通に仕事をしていて、ちょうど現場が終わったぐらいから雨が降り出しました。

まだその時の私はただ雨がもの凄い勢いで降っているという意識しかありませんでした。

会社でのレポートなどが終わってさあ家に帰ろうとしたら、先に帰ったはずの人が引き返して来たんです。

どうやら道が渋滞していてまったく進まないから戻って来たとの事。

その時にはもう土砂崩れや川の氾濫が複数箇所で起きていてどうしようもない状況だったようです。

とうてい家に帰る所の話ではなくなっていましたので、家族に電話して帰れない旨を伝えました。

ちなみに両親はだいぶ前に避難所へ退避していました。初めて体験する豪雨に『これはマズイ』と感じたようです。

その時に逃げていなければ道路が寸断し孤立して逃げられなくなっていたので、本当に早めの避難は大事だと痛感しました。

そういうわけで私は家に帰る事が出来ない帰宅難民になってしまったわけですが、上司と話し合った結果会社の中で寝泊まりをする事になりました。

下着や日用品、食事は近場の開いてる店で購入し、作業着は会社を辞めた人のお古があるのでそれを借りました。

お風呂はちょうど近場に入浴施設がありますし、洗濯も洗濯機が会社にあったのでとりあえず何とかなりました。

そこから1週間〜2週間は会社で寝泊まりを続け、近場の道路が一部復旧しだしたので家にも帰れるかと思ったのですが、家族がいる避難所から我が家までの道路はまだ土砂崩れの影響が残ったままで危険な為に役所の方からまだ帰宅の許可が下りませんでした。

それでも避難所までなら帰れるようになっていましたので、会社ではなく今度は避難所での寝泊まりが始まりました。

何十畳という広い部屋がいくつかあり、それぞれに避難して来た人たちが地区ごとにあてがわれて生活をしていました。

私が避難所へ行った時にはもう支援物資としてシャツやパンツ、歯ブラシ類やタオルなどいろんな物が届いていました。

携帯の充電器も設置されていました。

夏場だったので布団類は最低限で良かったし、空調もちゃんとあったのでそこは助かりました。

ただ、同じ地域とは言えほとんど見ず知らずの人やあまり親しくない人もいました。

そんな人たちとずっと一緒にいるのがキツい人も中にはいたようで、夜寝る時にわざわざ外に停めてある自分の車の中で寝る人もいましたね。

私は避難所の中の方が暑くもないし布団もあるし寝返りもうてるしで快適だったので、外で寝る事はありませんでしたが。

あとエコノミークラス症候群になった人はいませんでした。良かったです。

それからご飯は救援物資としてパンや弁当が出ていましたし、料理を作れる人たちが集まって手作りの物も出ていました。

やはりパンや弁当ばかりだと飽きたり嫌になる人が一定数いたので助かりましたね。

お風呂は避難所の中にせまいシャワー室がありましたので、それで済ませてました。

数も少ないし湯船は当然ありませんでしたが、それでも身体を洗える所があるのは恵まれていました。

人数に対して数が少ないので並ぶのが面倒と言えば面倒でしたが。

ちなみにこの時の豪雨被害では自衛隊災害派遣されていまして、自衛隊のお風呂に初めて入る事が出来ました。

ずっとシャワーだけで済ませていた人が多かったし、私も久しぶりに足が伸ばせるお風呂に入れたのでとても嬉しかった事を覚えています。

いやはや、あの時の自衛隊員さんたちには道路の復旧なども合わせていろいろとお世話になりましたね。

本当にありがとうございました!


そんなこんなで多少の不便はあれど本当に酷い目に遭った人に比べれば随分とマシな生活をひと月ほどはやっていたと思います。

当時はコロナ前だったので、マスクや消毒も必要ありませんでしたし。

今思い返してみても、やはり思うのは『もう避難所生活は勘弁してくれ』の一言に尽きますね。

やはり住み慣れた我が家が一番ですよ。