たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

私は成長する無職にはなれなさそうです

どうも、たかやです。

今日は天気が良かったので、2ヶ月に1回の洗濯槽と風呂釜の掃除、風呂場の防かび燻煙をしました。

本当は昨日やる予定でしたが、お風呂のお湯が抜かれていた為、1から水を溜めるのが面倒ですし水道代も掛かるので諦めました。

親へ『お風呂のお湯はそのままにして流さないでくれ』と言ったはずなんですけどね。

まあその日に出来なくても別の日にすれば良いや、となるのが何の予定も仕事もない無職の良いところです。

思惑と外れても『まあいいか』ですみます。

ただ、時間に余裕があるせいでいつまでもズルズルと後回しにしてしまうおそれがありますから、そこは注意が必要です。

以前は2〜3週間ほど後回しにした事もあるので、余裕を持ち過ぎるのも考えものです。

急かされるよりはのんびりする方が性に合っています。



そう言えばふと思ったのですが、無職になってからの私は毎日のようにテレビを見て、ラジオを聴いて、本(マンガを含む)を読んでいろいろな情報を脳に入れていますが、それがちゃんと身になっていたり、糧にして成長出来ているという実感がありません。

中にはブログのネタになったり、親や友人との雑談に使ったりしますからインプットがまったくの無駄というわけではありませんが、口下手だし文章を作るのも苦手ですから上手くアウトプット出来ている気がしません。

 

働いていた時の自分はどうかと過去を思い返してみれば、まあ仕事関係では様々な経験をしてたくさんの人と関わり合いながら働いて来ましたから、10代の頃に比べたらわずかでも成長はしているはずです。

でも前職の最後の方は不平不満ばっかりでしたから、成長どころか疲弊して消耗していたような気はします。

もしもあの会社でまだ働いていたら私はどうなっていたのやら。

 

 

私の場合は本を筆頭に頭の中にいろんな情報を入れて知識を得るのが好きなのだと思います。

まあ全てが全て興味があったり面白がれるわけではありません。すぐに忘れてしまう方ですし。

ニュースやラジオも同様で、世の中あちこちにいろんな物事があり、それに対して他人がどう思いどういう言葉を口にするのかを知るのは楽しいです。

私の貧弱な発想と思考とボキャブラリーでは絶対に生まれ出て来ないモノを目に耳に入れられますから。


よくよく考えてみれば、今の私は自分が成長する為に本やテレビを見ているわけではなく、ただ単に楽しむ為に見ているのですからそりゃあ何も伸びはしませんよね。

停滞したり衰えたりしないように頭に刺激を与え続けているつもりではいますが、自発的なものばかりになり、偶発的で意図しないものにはそうそう巡り会わなくなっているのはもしかしたらマズいのかもしれません。

それでも、今の生活は楽しいと言って差し支えありませんので、しばらくはこのままでいそうです。