たかやの適当雑記帳

適当がモットーです。

私の嫌いなセリフ

どうも、たかやです。

私はいい歳をした大人ですが、嫌いな食べ物があります。

出来るだけそれの入った物を買わないようにしたり、選ばないようにしてはいますが、100%避ける事はできません。

お店なりよその家で出されたりと、逃げられない場面が出て来ます。

そういった場面で、私がそれを嫌いな事を知っていたり知らなかったりした人が言うのが、

『美味しいから食べてみなよ!』

という無責任な言葉です。

そりゃあそれが好きな人なら、大概が美味しいと思うでしょうが、それが大が付くほど嫌いな私からしてみれば、何をどうしたって美味しくならないし、不味い以外の感想は出て来ません。

『騙されたと思って食べてみて!』

言われて口にしてみても、不味い物が美味しかった試しがなく、例外なく確実に騙されます。

詐欺師もへそでお茶を沸かしますよ。

『人生の半分損してる』

などと、ふざけた事を言う人もいますが、口の中全体に嫌な味が広がり続け、涙目になり、しかめっ面になりながら無理矢理呑み込まなければならない。

たった一口でそんな最低最悪な気分になるのですから、それを食べる方がよっぽど『人生の半分損してる』気分になります。

いくら身体に良いと言われようが、別に数多ある食材の内の、たった1つを口にしなくても死にはしませんし、食べられる方が良いと言われようが、私が死ぬまでにそれを好んで食べられるようになる気がしません。

むしろそれを口にするたびに、もの凄いストレスが発生している気がします。食べない方がよっぽど身体の為になっているのではないでしょうか。

『これなら苦手でも食べられるんじゃない?』

こいつもなかなかに危険な言葉です。

いつも食べている物より甘いだとか、美味しいだとか言って食べさせようとしてきます。

件の言葉は、それを食べる直前まで嫌いだった人が言うのならまだ信用が出来ますが、この言葉を使う人は、決まってそれが好きな人です。

嫌いな食べ物というのは、普通の人にとって50点の場合、好きな人には100点で、嫌いな私にはマイナス100点です。

普段より美味しいと言ったところで、10点か20点か加算されるだけです。

70点や120点なら、そりゃあ美味しいと思うでしょうが、嫌いな人間にとってマイナスはマイナスのままです。

そんなに嫌いなら食べなければ良いじゃないの?

そういう意見もあるかもしれませんが、お残しは私の信条に反します。

『食べる』より、『残す』方が気分が悪くなります。

なので、何でも美味しく食べられる舌が欲しいものです。