どうも、たかやです。
今回はSmartNewsに届いていたこちらの記事から。
7人分のお話がありますが、その内の2人の言葉について書いてみたいと思います。
まず、『リッチに暮らすこと』と『豊かであること』には違いがあるそうです。
リッチに暮らす=高収入を稼ぐが支出も同じように高額を使ってしまうので収支はプラマイゼロになる。
豊かである=高収入とまではいかないが収入はある上で支出を抑え、銀行には資産がある。
リッチというのはただ単に有り金を使いたい放題に消費するのではなく、消費以上に収入を増やすのが真のリッチだとのことです。
まあ確かにいくら贅沢な生活が出来ても、毎月の支払いに追われたり給料日に銀行振り込みを心待ちにするような生活を豊かと呼んでいいのかは疑問ですね。
だからと言って極端な節約で生活レベルを下げたり低賃金低支出の爪に火をともすような生活もリッチとはとても言えません。
どちらも共通して心の余裕がありませんし、お金の余裕があるかと言われればそれもなさそうです。
私としてはある程度の衣食住が整い、それに追加して遊に回せるお金が少しでもあれば十分な気はします。
今の生活は世間一般的にはまかり間違っても贅沢とは言えませんし思われもしないでしょうが、『(精神的に)豊かな生活である』と胸は張れそうです。
これは2人目の『幸福は経済的自立ではなく自分の内側から得られるのだと、もっと早く知っておきたかった』という言葉にも少しだけ共通しています。
当然ですが、私が無職ではなく労働に勤しんでいた時の方が入ってくるお金は多いし支出として使える幅も量も多いです。
そこだけ見ると昔の方が普通に良い生活のように感じますが、当時の私にしてみれば経済的には問題がなくともブラックな労働環境に心や身体を蝕まれていて、『幸せ』だとか『今の生活を続けたい』だなんて1ミリも思えずにいました。
今思えば金銭面ではまともでも精神面では不幸のどん底でしたよ。
もちろんお金は少ないより多い方が良いし、たくさんあるに越したことはありませんが、大量にあっても幸せじゃあない人もいます。
強盗や遺産目当てで命を狙われるなんてのは御免ですよ。
大金で溺れて沈んでしまうくらいなら、贅沢はできないけど日々を暮らすのに問題はなく、少し余るくらいの金額を得られるような生活の方がずっとマシです。
それにそもそも、そんな大金を手にする縁も機会も私にはまず来ないでしょう。
ただ、それを悔やんで嘆いて『何がなんでもお金が欲しい』『大金さえあれば幸せなんだ』と必死に手を伸ばしてもがき苦しむような飢えた人生はおくりたくないです。
せいぜい私なりの豊かな生活を過ごしてみせますよ。